名古屋地方裁判所 昭和52年(ワ)1787号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
二2 原告は、結婚当初は不動産業の仕事をし、その後は農業手伝、自動車運転手などをしたことがあつたが、概してその職業は定まらず、職に就かない期間も多くてその収入を家庭に入れることが少なく、そのため被告A子は約一八年間にわたつて内職の縫製の仕事をして生活費の足しにし、苦しい生活をして来た。
3 原告は、右のような勤労意欲に欠けるばかりでなく、当初から、気に入らないとすぐ乱暴をし、それも中途半端で治まらないという粗暴癖を有し、そのため被告A子は、原告に顔、腰、股などを蹴られ、気を失うまでいじめられるというひどい暴行を受け、怪我をするということが一度ならずあり、他の性行においても、原告は、三度にわたり水商売の女性と懇ろになつて問題を起こし、妻である被告A子を心痛させる始末であつた。
4 かかる家庭事情にあつて、昭和五〇年二月二〇日頃、原告が被告A子に金の工面を求めたことで喧嘩になり、その揚句同被告は原告から叩かれ、「出て行け。」と言われて玄関に引きずり出されるという乱暴を受けるに及んで、家を出る決心をし、息子B(当時大学生)の勧めもあつて、かつて住んだことのある福井市に行き、間もなく同年三月頃から同市内のキヤバレー「夢の国」の寮に住込み、ホステスとして働くことになつた。かくするうちに、客として店に来た被告Mと知り合い、昭和五〇年一一月二六日夜閉店後、被告A子が川に落ちて怪我をしたのを被告Mが助け、入院中の被告A子を見舞つたことから被告両名は親しくなつた。
5 それよりさき、被告A子は、同年夏頃から福井市のマンシヨンの一室を借りてひとりで住み、翌昭和五一年一〇月頃被告Mの世話で同マンシヨンから出て、同被告の息子C所有名義の一軒家に転居し、右Cが結婚するまでという条件でその無償貸与を受けて現住している。
6 この間、被告A子は原告との間で、昭和五一年一〇月前後頃協議上の離婚を合意するに至り、それに基づく両名の離婚の届出が同年一二月二日前記本籍地の村役場に郵送受理された。
7 他方、被告Mにも現に妻があるのであるが、同被告はその自宅に近い被告A子の居宅に日常繁く出入りし、遅くとも昭和五二年一月以降被告両名の間に男女関係が存在し、現在に至つている。
三そこで、原告主張の不法行為の成否について判断するに、被告両名が原告と被告A子との離婚成立(昭和五一年一二月二日)後の昭和五二年一月以降情交関係をもつに至つたことは被告らの各供述によつて明らかなところであるが、それが被告両名にとつて初めてであつたかどうかは極めて疑わしい。<中略>
四しかしながら、なお翻つて考えてみると、原告と被告A子との婚姻関係は、直接的には原告が正当の理由もなく暴力沙汰で被告A子を追出し、それによつて同被告が家を出て別居状態になつたことで破綻状態に陥つたものであり、それも、長年の結婚生活における原告の勤労意欲の希薄と残酷ともいえる乱暴狼藉、夫としての愛情の欠如と背信等原告の有責行為が根源をなしているものと認められ、そのうえ、右婚姻関係の解消は、前示のとおり手続的には離婚の届出のあつた昭和五一年一二月二日であるけれども、事実上はそれにさきだつ同年一〇月前後頃協議によりその合意が確認されているのであるから、右事情のもとにおいては、被告A子の不貞行為が前認定のとおり既に同年一〇月頃から始まつていたとしても、右のように原告の有責行為が原因で形骸化した婚姻関係の夫婦の一方である原告が、貞操義務違背ないし夫権侵害を理由として、その妻たる被告A子及びその相手となつた被告Mに対し損害賠償(慰藉料)を求める実質的利益はないと評価して妨げなく、右被告らの所為はその違法性を欠いて不法行為を構成しないと解するのが相当である。
(深田源次)